22歳でカンヌ受賞したCDが目指す、世界で評価される広告づくり。|1-10design クリエイティブディレクター 富永 省吾さん

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美術系の大学や専門学校を選択する時、自分の目指す職業に就くには何処に入学するべきか迷った経験はありませんか?今回お話を伺った富永さんは、広告の勉強がしたくて美大に進学したものの、想定外の授業内容に頭を悩ませていた大学生でした。 そんな富永さんがどのようにして自分の目標である仕事に就き、理想の働き方をつかみとれたのか。現在在籍している専攻や大学に悩みを持つ学生さんに、ぜひ呼んでいただきたいインタビューです。編集・執筆 / AYUPY GOTO

富永 省吾とみなが しょうご

Creative Director

2013年3月 京都造形芸術大学 情報デザイン科卒業。
2013年4月 1-10HOLDINGS, Inc. クリエイティブディレクターとして入社。

詳しいプロフィールはこちら

入社2週間でクリエイティブディレクターに抜擢。
新たな部署を立ち上げ、広告領域を拡張する。

― “1-10HOLDINGS”は、どのようなお仕事をしている会社ですか。

富永さん:1-10HOLDINGSは、デジタルマーケティングを総合的にプロデュースするインタラクティブスタジオです。本社は京都にあり、東京、上海、シンガポールにネットワークを広げています。事業内容としては、プロモーションサイト制作、コミュニケーションプラン立案、企業ブランディング、ロボット開発、デジタルサイネージ制作など様々です。ユニークなアイデアと時流に合わせた最先端技術を使い、多くのキャンペーンを手がけてきました。また、エンターテインメントによるコミュニケーション設計を強みとしている会社ですね。

― 富永さんは1-10HOLDINGSさんでどのようなお仕事を担当しているのでしょうか?

富永さん:僕は社内でも特殊なクリエイティブ事業部という部署で、クリエイティブディレクターとして働いています。
ブランディングやPRなど広告表現全般の企画をゼロから請け負い、テレビCM、オンラインビデオ、グラフィック、WEB、プロダクトなどメディアを問わず、クリエイタィブエージェンシーのような動き方をしています。案件によって映像ディレクターやプランナーとして動くこともありますね。

― 3年目でクリエイティブディレクターを任されているのですね!企業によるかもしれませんが若手でクリエイティブディレクターを任されることは珍しい印象です。

富永さん:確かに年齢からすると早いと思います。
ある案件のクライアント担当者の方が、大学4年生の卒業制作展で展示していた作品を気に入ってくださり、僕を「CD(クリエイティブディレクター)にしたい」と言われたんですよね。それから話が進み、気づけば入社して2週間でクリエイティブディレクターデビューが決まっていました。一般的には、実績を重ねて着任するものだと思いますが、僕の場合はオファーがきっかけでした(笑)

― 1-10HOLDINGSでは、いつから働いているのでしょうか。

富永さん:大学2年生の時に、雑誌に載っていた1-10HOLDINGSの記事を先生に紹介してもらい、それを見て興味を持ち、会社で2週間インターンとして働くことになったんです。
当時の1-10HOLDINGSは、映像案件をほぼ取り扱ってない状態だったのですが、インターン期間は僕が学生時代から得意としていた映像制作を任せてもらい、案件ごとに撮影にまわったり、編集したりしていて、インターンが終わったあとも業務委託で映像のお仕事を引き受けていました。

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中学生から続けたCM絵コンテづくり。
“自分に何ができるのか”問いかけ、戦略的に行動することで得たポジション。

― 富永さんはいつから広告の仕事に関わりたいと思っていたのでしょうか?

富永さん:幼い頃から広告に関わる仕事がしたいと思っていました。中学の頃、テレビを見ながら日本のCMが面白くないと思い、よくイライラしていて(笑)テレビCMを見ながら、自分だったらどのようなCMをつくるのか、15秒CMの流れている時間、即興で頭の中で新たな企画を考えていました。当時は将来のためとかではなく、ただの遊びでやっていました。

美大に進学しようと決めたのは、中学生の頃から通っていたACCのCMフェスティバルがきっかけです。CMフェスティバルで出会った作品のクレジットに、制作者の卒業大学が記載されていて、その多くが美大の“グラフィックデザイン学科卒業”とあったので、「美大のグラフィックデザイン科に進学したら、CMの仕事ができるのか」と思い込み、そこから急いで画塾に通いました。当時はグラフィックデザイン専攻=広告だと思っていたのですが、今考えるととんでもないなと思います(笑)

― そこから美大に入学したのですね!実際入学してみていかがでしたか?

富永さん:元々はCMや広告が作りたくて美大への進学を選んだのですが、情報デザイン科に入学した僕は愕然としました。僕のコースが殆ど広告制作物をつくらないコースで、入学してからそのことに気づき“最悪だ”“地元に帰りたい”と思いました。
同じコースの友人たちはグラフィックデザインが大好きな人ばかりなので、流行のフォントやデザイン、有名なデザイナーの話で盛り上がっていて、僕は話についていけずにいました。広告の勉強がしたいのに、授業ではフォントの勉強からはじまって、とんでもないところに入学してしまったと、嘆きながら必死で学んでいました。

授業では広告にほとんど触れないので、課題だけはしっかりやって、個人で広告の本を読んだり、海外の広告事例を見たり、映像制作をしたりしていました。
デザインを学ぶことにそこまで真剣になれなかったので、大学2年生までは全く評価されない学生でしたね。

ですが、大学3年生の頃に初めて広告の課題が出て、その時から急に流れが変わりました。講評の時にみんな自分の制作物に対してプレゼンを行うのですが、僕の順番がきたときに先生に「プレゼンはいらない、作品が物語っている」という話をされました。世の中にある広告って、そもそも人に対してプレゼンする機会なんてないですし、広告そのものを見るだけで理解されて伝わるものじゃないといけないので、先生のその言葉はとても嬉しかったです。
また、自主制作をしていたCM作品を、コンペに応募するようにしていたのですが、3年生になってから4つ賞をいただいて、渋谷のスクランブル交差点のモニターでつくった映像が流されることもありました。そういった活動から、大学にも評価してもらえるようになり、受賞した作品を学内で張り出してもらったりしていました。

― 努力が実ったのですね!3年生になってから就職活動がはじまるかと思いますが、どのように過ごされていましたか?

富永さん:ポートフォリオに関しては、大学で年に数回ポートフォリオの授業があり、4年生になったタイミングでポートフォリオのプレゼンも行わないといけないため、しっかりつくっていました。ですが、就職活動らしいことは特にしていません。

本当は第一志望だったはずの大手広告代理店も、卒業制作や個人で受けていた仕事の制作で精一杯になって、エントリー期間を逃してしまいました(笑)

3年生から企業の仕事を受けるようになったのですが、仕事の受け方としては、出会った企業の足りていない部分を探しては、自分に出来ることを見つけて提案しに会社に足を運び、作品を見せて売り込んでいました。

また、コンテスト系は最終審査に残ると有名なディレクターさんや企業の方々に会えるので、作品を持っていき見てもらってはアピールしていました。そうやって自分のポジションを探り、戦略的に攻めていました。

― すごく積極的ですね、1-10HOLDINGSへの就職はどのタイミングで決まったのでしょうか。

富永さん:社会人1年目でクリエイティブディレクターとしてカンヌで賞をとることが中学生時から目標だったので、その目標に挑戦できる会社を探していました。広告代理店に入るつもりでいましたが、1年目でクリエイティブディレクターとして活動できるような環境はなかなかないですよね。
でも1-10HOLDINGSにはその可能性を感じて、そこで社長に「そろそろどうしましょうか」と進路の話を出して、面接して内定をもらうことが出来ました。

― クリエイティブディレクターという職種にはこだわられていたのですか?

富永さん:自分には世界に通用するレベルのデザインセンスは備わっていないと在学中に気づいていたから、デザイナーになることは考えていませんでした。世界で評価される広告をつくるためには、得意なポジションで動ける環境が必要だと思いました。僕は広告の構造式やタグライン、コンセプト開発を軸に企画全体を設計するのが得意なので、そういった意味でプランナーとクリエイティブディレクターを兼任して仕事を受けられるのが1番良いと思っていました。あと、クリエイティブディレクターはクライアントさんと直接話せるので、考えを伝えやすくて良いですね。

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カンヌのLIONS Healthでブロンズ受賞した作品|協和発酵キリン株式会社:ブランディング施策「Invisible Things」

正しい選択かどうかは、自分の才能を見極めれるかで決まる。

― 1-10HOLDINGSに入社してみていかがでしたか?

富永さん:僕は媒体に縛られずに広告の仕事がしたいという思いがありました。入社当初はWEB制作の仕事が多くて、その期間は修行だと思って取り組んでいましたね。ですが、卒業制作の作品から繋がった案件が評価されたことによって、僕がクリエイティブディレクターを任せていただけるチームが立ち上がり、徐々に理想としていた体制ができてきました。

― 会社の魅力はどういったことがありますか?

富永さん:仕事は辛いですが面白いです。クリエイティブディレクターを任せていただいてますが、何でも思い通りにいくわけではないです。ただ、その状況を超えて形に出来たときの喜びは大きいです。

会社全体の話ですと、どこの会社もそうかと思いますが、自分次第ですし誰でも何でも任せてもらえる環境はありません。ですが、アイデアに年功序列はないので、良いアイデアや企画があれば立場や年齢関係なく評価されますし活躍できます。良いアイデアは否定しようがないですし、良いアイデアが出せる人は認められますよね。そしてもちろん、出せなければ認められることはないです。

― 富永さんが、社会人1年目でカンヌで賞をとられたというお話をうかがいました。

富永さん:カンヌの“LIONS Health”というアワードでノミネートされて、ブロンズをいただくことができました。同じブロンズをとった作品の中に、チェックしていた海外の作品も入っていたので、そこに並べた時は嬉しかったです。制作当時22歳だったのでクリエイティブディレクターとして最年少受賞だったかもしれません。

― 22歳でカンヌ受賞、凄いですね! 今後の目標はありますか?

富永さん:日本の広告文脈にパラダイムシフトを起こしたいです。また、賞をとることを目的として広告の仕事をしているわけではありませんが、近いうちにカンヌでゴールドを受賞したいですね。世界で評価される広告をつくることが目標です。

― 最後に学生にメッセージをお願いします。

学生の時に意識してほしいのは、大学の評価と社会の評価は全く違うので、大学での価値観は参考にしつつも、全て鵜呑みにしてはいけないということです。

大学で評価されているからといって、そのまま企業や社会に受け入れられるかというと全く違います。できるだけ早い段階で世の中に自分の作品を出してみて、どういった反応や評価を得られるか確かめた方がいいです。

また、なるべく早い段階で自分自身の才能の在り処に気づいてほしいです。芸大・美大は少なからず同調現象が働くので、大学の環境につかりっぱなしの状態は危険です。僕も入学当初は自分の価値観が侵食されかけていました。グラフィック専門のコースに入学したからといって、好きじゃないと気づいたならデザインの勉強だけを無理矢理する必要はないと思います。周りの人と自分を比べて悩んで、環境に流されて、そのまま好きでもない業界に就職して、そして世の中に出た後に「本当はこんなことやりたくなかった」と気づく人も多いです。

ですので、自分の才能の在り処を見極めることがすごく大事だと思っています。今、なんとなくできていることがあなたの才能ではありません。僕もデザインも撮影も出来ますが、それはアビリティであり才能ではないんです。

自分が本当にやりたいことや、世の中にどうコミットしたいかをよく考え、自分自身の声に耳を傾けてみてください。今、目の前にあるものが正解とは限りません、自分の奥底にある熱量を探り出す時間を大事にしてください。あなたの使命は先生に褒めてもらうことではなく、未だ見ぬ誰かに感動を届ける準備をすることです。

1-10HOLDINGS, Inc. コーポレートサイト1-10HOLDINGS, Inc. ワークス

(2015.6.27)

著者

後藤あゆみ

はたらくビビビット編集長。 フリーランスで“『ツクル』を仕事にしたい未来の子供たちのために。”を、コンセプトとして活動。クリエイター支援、スタートアップ支援を行っています。おばあちゃんになるまでに美術館をつくるのが夢です 。

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