卒業後に進む道、入社する会社、ほとんどの人が「失敗したくない」と思うはずです。ですが、失敗を恐れて本当にやりたい仕事から離れてしまう人生はいかがでしょうか。今回インタビューした塚野さんは、新卒で入社した会社を4ヶ月で辞め、働かない時期やアルバイトの時期をこえて、北海道札幌市のデザイン事務所のデザイナー職にたどり着きました。卒業後、大変なことも多かったという塚野さんですが、失敗を恐れず全力でやりたいことに向き合ったことで、今好きな仕事ができているそうです。京都での学生生活を終えて、どうして北海道の会社で働くことになったのか、新卒入社した会社で何があったのか、塚野さんにお話を伺いました。編集・執筆 / AYUPY GOTO
塚野 大介つかの だいすけ
Designer
1988年 京都府出身。 京都造形芸術大学情報デザイン学科コミュニケーションデザインコースに卒業。 卒業後、東京にてデザイン事務所やデザイン部がある企業を3年ほど転々する。 2014年3月に札幌の株式会社COMMUNEに行き着き、デザイナーとして生き抜く日々を過ごす。
“スウェーデンで1年に1ヶ月働くプロジェクト”を行い 国内外の仕事に携わる北海道のデザイン事務所。
― COMMUNEさんはどのようなお仕事をされている会社でしょうか。
塚野さん:主な仕事としてはブランディング・プロデュースを中心に、ロゴデザイン、パッケージデザイン、広告制作、書籍制作、web制作など、幅広くデザインの仕事に携わっています。北海道のショップや飲食店のデザインを手がけることが多いのですが、スウェーデンや韓国など海外の会社からの依頼もあります。また、クライアントワークだけでなく、自ら発信することを目的に、「クリエイティブサロンMEET.」というイベントスペースの運営も行っています。
MEET.は、COMMUNEのオフィスの隣にあるのですが、様々な企画を行っていて、例えば大阪で活躍しているイラストレーターの展覧会を行ったり、スウェーデンのアーティスト招いてスウェーデン料理とライブを楽しむイベントを行ったり、みんなで学ぶワークショップやゲストを招いたトークイベントを行ったりしています。
― どのような業界やジャンルのお仕事をすることが多いのでしょうか。
塚野さん:他のデザイン事務所ですと、書籍系、ファッション系、音楽系…など、携わるお仕事のテイストや軸のようなものがある会社が多いかと思いますが、COMMUNEはそういった縛りはありません。
― 海外からもお仕事の依頼があると伺いましたが、どのようにして仕事が入るようになったのでしょうか?また、具体的にどのような商品のデザインを行っているのでしょうか。
塚野さん:海外のデザイン書籍への掲載依頼が多く、これまで80冊以上。その数は日本で掲載された約70冊よりも多いです。また、世界初のクリエイティブポータルサイト“Designboom”や韓国の雑誌“DESIGNNET”などに代表の上田がインタビューを受けたりもしており、COMMUNEは比較的海外での知名度が高いと思います。また、代表の上田が学生時代からスウェーデンとの繋がりがあって、1年のうち1ヶ月をスウェーデンで暮らす、“1/12 Sweden Project”というを上田が個人的に行っており、そういった取り組みからいろんな方との繋がりができて仕事の依頼をいただくことが増えてきています。例えばですが、スウェーデンのお茶ブランドのパッケージデザインや、韓国のタバコブランド「This」のパッケージデザインを手がけました。また、日本のお仕事ですと、カフェや美容院、飲食店のブランディングなどを行っています。変わったお仕事ですと、東北楽天ゴールデンイーグルスのシーズンチケットのデザインや、チームナックスの映画“N43”のポスターやパンフレットデザインなど、小さなデザイン事務所でここまで幅広くお仕事しているのはめずらしいと思います。
― 塚野さん自身はどのようなお仕事をされているのでしょうか?
塚野さん:基本的には代表の上田がアートディレクターとして関わり、僕はデザイナーとして仕事をしています。代表がクライアントと打ち合わせをして、その内容を僕に伝えて、じゃあどういうものを作ろうかと実際に手を動かしながらつくっていきます。つくっていく中でこれはいい、これはダメと、代表にディレクションしてもらって、あとは求めるクオリティに届くまで頑張ってつくりあげるのが大きな流れですね。僕が打ち合わせに立ち会うこともあります。
遊びにいくような感覚でエントリー
楽しむことでコツコツ続けられた就活。
― いつからものづくりに興味を持ちはじめましたか?
塚野さん:僕は小学校の頃から絵を描くのが好きで模写するのが得意だったので、なんとなく自分は美術系の道に進むのだろうと思っていました。高校の時にアジカンのジャケットを描いている中村佑介さんのイラストに出会い、そこからイラストレーターになりたいと思うようになっていました。中村佑介さんのように、音楽のジャケットデザインに携わる仕事に憧れがあったので、そのような仕事ができる大学は何処だろうと探したときに知ったのが、地元にある京都造形芸術大学でした。やりたいことが出来そうなコースが、コミュニケーションデザインコースとイラストレーションコースと二つあって、両方とも受けて、最終的に合格したコミュニケーションデザインコースに入学することにしました。
― 元々はイラストレーターになりたいと思っていたのですね。大学時代はどのように過ごされましたか?
塚野さん:イラストレーターになりたいと思って美大に進学したのですが、入学してみると周りには絵が上手い人がたくさんいて、友人の絵と比べてみて自分には絵の仕事が向いてないと思いはじめました。そんな時、グラフィックデザインや広告の授業を受けていくうちに、デザイナーという仕事だったらイラストも楽しみつつ、パッケージやタイトルロゴ、プロモーションに至るまでデザイナーの領域を知り、グラフィックデザイナーという仕事に惹かれていきました。授業の課題をやりつつも、実力を認めてもらいたいという思いから、グラフィックデザイン、広告、プロダクトデザインのコンペに作品をつくっては応募していました。
― 積極的にものづくりされていたのですね。当時は、将来はこうなりたい!といった、野望のようなものがあったのでしょうか。
塚野さん:そうですね…活躍されているデザイナーさんは、大体どこかのデザイン事務所に数年勤めた後独立されていたので、自分もそれにのって、実力をつけて独立できるようになりたいという思いは芽生えていました。なので、早く実力をつけたいとか、一人前として認められたいという思いから、一番評価がわかりやすい“コンペで賞を取る”ことに、積極的だったと思います。
― 大学3年生のタイミングで就職活動がはじまると思いますが、就職のためにどのような活動を行っていましたか?
塚野さん:クラスメイトは、3年生の夏休みぐらいからザワザワし始めて、デザイン会社や広告会社のインターンにいく子もいましたね。僕がエントリーを始めたのは3年生の冬、年明けからで、最初は慣れるために友達と一緒に試しに受けに行ってみよう!と、遊びにいくようなテンションでエントリーして、面接を受けていました。 その頃は、グラフィックデザイナーになりたいという思いが固まっていたので、基本的には東京や大阪のデザイン会社に応募して、面接のために夜行バスで通ったりしていました。最終的には20社くらいにエントリーしていたと思います。
― 真面目にコツコツと就活されていたのですね。
塚野さん:真面目な方だったと思います(笑)僕が内定もらったのは4年生の10月頃で、東京のデザイン事務所に入社することになりました。そこは、なかなか新卒では入れないようなところで有名な仕事も多く手がけている会社でした。すごく運が良かったと思います。
― 新卒で入社されたのはCOMMUNEさんではなかったんですね。決まった後はどう過ごされていたのですか?内定もらった会社でバイトやインターンはされたのでしょうか?
塚野さん:そうですね、最初は東京の会社に就職したんです。内定が決まったあとは、卒業制作したり、就活を少しだけ続けたり…インターンやバイトには行かなかったですね。学生時代にインターンを経験していたら、また選択肢が変わってたのかなあ…。
新卒入社した会社を4ヶ月で退職。
挫折をこえて見つけた本当に好きな仕事。
― 大学を卒業して、社会人として働いてみていかがでしたか?
塚野さん:実は最初の事務所では4ヶ月間しか働いていません。というのも、自分が思い描いてた仕事とのギャップにかなり苦しみました。思っているほど自分が仕事できなかったり、自分の立ち振る舞いが良くなくて人間関係で悩んだり、いろいろ悩んでいるうちにどんどん気持ちが落ちていって、結局4ヶ月働いて辞めるという決断に至りました。その会社で一度つまづいたことによって、その後自分は本当にデザインの仕事がしたいのか、原点にかえって考えるようになり、一時的に京都に帰ることにしたんです。
― そんな苦労があったのですね、京都に帰ったあとはどのように過ごしていたのでしょうか。
塚野さん:実家に帰って、次のことを考えつつゆっくり過ごしていました。会社を辞めてちょうど2ヶ月たったタイミングで、同じように会社をやめた大学の友人がいて、その友人に東京の六本木で開催されたプロダクトデザインのイベントにボランティアスタッフとして参加しないかと誘われて、いいきっかけになればと思い2〜3週間ぐらい東京に行って、イベント運営に携わりました。その時にいろんなアートディレクターやデザイナーと関わって、仕事の話をたくさん聞いて、やっぱりこの業界は楽しいと思えて、デザインが好きだという感覚を取り戻しました。そこから再度東京で就活をして、飲食店を経営している会社のデザイン部にアルバイトとして入社することになりました。その飲食店のデザイン部にいたのは1年半くらいですね。また一から学び始めて、そこでは会社の経営しているレストランやカフェのメニュー表やショップカード、店頭ポスターなどの紙媒体の他に、インテリアや食器、内装も会社内でほとんど手がけていました。今COMMUNEでやっている仕事の関わり方とすごく近かったと思います。
その会社でデザインの仕事を経験できたのですが、つくるものがほとんど飲食に限定されてしまうので、もっと他の業界のデザインに関わりたいという気持ちが生まれてきて、そのタイミングでファッション系のデザインを中心にやっているグラフィックデザイナーさんのところでアシスタントとして仕事に関わる機会をもらいました。最初は飲食店のデザイン部と半々で働いていたんですが、途中から週5でそのグラフィックデザイナーの下でがっつりお仕事をやるようになりました。
― そこからCOMMUNEさんに転職されたのですか?どういうきっかけで、東京から北海道の会社に転職することになったのでしょうか。
塚野さん:グラフィックデザイナーのアシスタント業を1年半経験し、ちょうど辞めるというタイミングで、北海道のデザイン事務所で働く大学の友人からCOMMUNEがデザイナーを募集しているから興味がないかと連絡がきたんです。COMMUNEの存在は学生の時から知っていたこともあり、元々興味があったので受けてみることにしました。
― 京都に住みながら、北海道のデザイン事務所も知っていたんですね。
塚野さん:そうですね。学生時代、全国にはどんなデザイナーがいるのか興味があったので、気になる作品があればつくった会社を調べて、ホームページをブックマークしていました。地方ごとにフォルダ分けもしていましたね。
― 東京から北海道に移住することに不安はなかったのでしょうか。だいぶ環境も違うと思うのですが。
塚野さん:北海道には親戚も全くいないですし、ゆかりもないので多少心配はありましたね(笑)友達がいると言っても、COMMUNEを紹介してくれた友達1人と、たまたま中学の友達で教師をやっている人がいるくらいだったので。ですが、知らない土地で仕事をすることは意外と面白いかもと思ったんです。COMMUNEがやっている仕事に関しても、自分があまり経験したことのないロゴ制作やブランディングの仕事が多かったので、自分の価値観や可能性を広げるためには、良いのではないかと思いました。
― COMMUNEで働いてみていかがでしたか?また北海道での暮らしは馴染めましたか?
塚野さん:仕事でいうと、大変だとは聞いていたので覚悟はしていましたし驚くことはなかったですね。1番最初に入った事務所に比べれば、そんなに大きなギャップは感じなかったです。札幌の環境でいうと、夏はすごく涼しく、梅雨がないのと蚊が少ないところは快適ですね。もちろん冬は寒いのですが、寒さ対策がされていて暖かく不住は感じませんでした。 僕はあまり積極的に友達をつくりにいく方ではないですが、札幌ADCなどに参加すると同世代のクリエイターと繋がれたり、地方の業界が広くない分、イメージされるよりも友達や仲間をつくる機会が多いのは地方の魅力に感じました。
― 今までCOMMUNEで働いて嬉しかったことや苦労したことを教えていただけませんか?
塚野さん:特にうれしかったことだと、僕がCOMMUNEに来て1番始めに手掛けたジャムの商品があったのですが、親や親戚にお土産として送ったら、想像以上に喜んでくれたんです。そして親が、親戚や知り合いにも自分の息子がつくったんだと自慢して回ったらしくて(笑)恥ずかしかったですが嬉しかったですね。親の実家が新潟なんですが、新潟の親戚の家に遊びにいったら、ジャムが常備されていたらしくて、基本北海道で売られている商品なんですが、全国のデパートの催事で「北海道市」みたいなのがあるじゃないですか、そこで購入したらしくて…。自分のつくったもので、こんなに身の回りの人が喜んでくれるのかと驚きました。自分がつくったものが人の手に渡って喜ばれる瞬間って、デザイナー自身なかなか感じることができないので、親ということもあり、二重に嬉しかったですね。
大変だったことですと、全部の仕事でいえるのですが、代表が目指すクオリティをつくり上げるために毎日必死ですね。デザイナーは自分1人で、しかも求められる表現幅も広いので、柔軟にいろんなタイプのデザインがつくれないといけないんですよね。まわりにはよく北欧デザインっぽいと言われるのですが、別にそういうスタンスでつくっていなくて、クライアントに合った、より良いデザインができるように努力しています。
― 今後どのようなことに挑戦したいですか?
塚野さん:せっかく事務所にMEET.というスペースがあるので、自分の企画でイベントを主催したいです。自分が興味あるものや、好きだと思えることにもっと深く関わるためには、グラフィック制作だけではどうしても弱いと思っていて、テーマや企画内容から考えれる絶好の機会だと思います。あと、デザインの仕事で言えば、プロジェクトを丸々任せてもらえるようになりたいですね。COMMUNEでいうとしたら例えばAD(アートディレクター)やD(ディレクター)を自分がやって、上田さんはCD(クリエイティブディレクター)を担当するような働き方ができるよう成長できたらと思っています。
― 最後に学生に向けてアドバイスがあればお願いします。
塚野さん:マイナスなことばかり考えないで前向きに進んでほしいと思っています。僕も働きはじめは大変なことが多かったですが、若いうちはいくらでもやり直し効くと思うんですよね。思いっきり飛び込んだけど駄目だったとか、あまり良い結果にならなかったこともあるかもしれませんが、何かしらアクションをおこしていれば、そこで経験したことが指針となり、次に繋がっていくと思うので、後のことを気にしすぎて進まないよりも、思い切って飛び込む勇気を大事にして欲しいです。
また、インターンやバイトの実戦経験は早いにこしたことはありません。自分は学生時代経験できませんでしたが、チャンスがあれば挑戦して損はないと思います。僕が大企業のインターンに行った経験がないので強くはいえませんが、同じインターンでも、インターンシップ制度がしっかり組まれている会社よりは、プログラムなどがあまりできていない会社のインターンに行ったほうが現場の裏側を覗けるので、ためになると思います。COMMUNEにも3ヶ月間インターンに来てくれた学生がいたのですが、基本的にプログラムなしでリアルに仕事に関わってもらい、一緒に企画のアイデアを出してもらいました。また、僕が怒られている姿も目の当たりにしているので、そういうリアルな現場を目の当たりにすることで、自分だったらどう立ち振舞えるか考えて行動できるようになると思います。可能だったらそういった泥臭い働きができる会社のインターンに参加したほうが、インターンをする意味が強くなってくると思います。その判断は皆さんがどういった道に進みたいかにも寄ってきますが、良いものを作っているクリエイティブな会社はきっと泥臭いところが多いと思います。
株式会社COMMUNECREATIVE SALON MEET.
(2015.8.25)
著者
後藤あゆみ
はたらくビビビット編集長。 フリーランスで“『ツクル』を仕事にしたい未来の子供たちのために。”を、コンセプトとして活動。クリエイター支援、スタートアップ支援を行っています。おばあちゃんになるまでに美術館をつくるのが夢です 。
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