100周年を迎えるバウハウスのデザインを知ろう。

デザインを学ぶ学生であれば、バウハウスという名前を一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。バウハウスは2019年に開校100周年を迎えます。100年経っても、世界のデザイン界に大きな影響を与え続けているバウハウス。この機会にそのデザインや歴史について知りましょう。
編集・執筆 / Ayako Yamada, AYUPY GOTO

目次

  • 1. バウハウスとは
  • 2. バウハウスのデザインってどんなもの?
  • 3. バウハウスの歴史
  • 4. バウハウスを支えた人物たち
  • 5. 今も大きな影響を与えるバウハウスのデザイン
  • 6. 最後に

1. バウハウスとは

バウハウス(Bauhaus)は、1919年にドイツ中部の街”ワイマール”に設立された造形大学です。バウハウスとは、ドイツ語で「建築の家」の意味。ここでは、美術、デザイン、工芸、建築といった、造形に関するさまざまな教育が行われました。1933年にナチスによって閉校されるまで、わずか14年という短い歴史でしたが、現在も世界のデザイン・建築界に影響を与えています。産業革命以降、機械による大量生産が進む社会の中で、工業化に対する革新的な芸術運動が盛んに行われました。その流れの中で、バウハウスはその実験的・挑戦的な試みにより、近代デザイン成立の上で大きな役割を果たしました

▲ 「ヴァイマル、デッサウ及び ベルナウのバウハウスとその関連遺産群」として、世界遺産にも登録されている、バウハウスの校舎の様子


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2. バウハウスのデザインってどんなもの?

絵画から建築まで多様な造形分野で、その時代を代表する芸術家たちが教師として集結していたバウハウス。講師たちは、表現主義、構成主義、神秘主義など様々な思想や異なる視点を持ち、バウハウスの中ではそれらが共存し互いに影響を与えていました。その環境の中で造形を追求し、生み出された表現は実に豊かで多様ですが、それらには共通するバウハウスのデザインの特徴があります。それは、余計な装飾を排除した、シンプルで機能的な美しさです。

▲ ヨースト・シュミット バウハウス展のポスター <1923年>
引用 (https://www.bauhaus100.de/de/damals/werke/grafik-typografie/index.html)

このバウハウスのデザインの根幹には、バウハウスの造形理論や教育システムがあります。開校に伴い発表されたバウハウス宣言の中にある、創設者のヴァルダー・グロピウスの言葉「すべての造形活動の最終目標は建築である!」の通り、バウハウスは建築を最終的な教育目標とした上で、すべての芸術の統合を目指す革新的な教育システムを確立していきました。日本の美術教育にもその影響は大きく、桑沢デザイン研究所をはじめ、東京造形大学や武蔵野美術大学基礎デザイン学科、筑波大学芸術専門学群などが、バウハウスの教育理念を基にしています。

▲ バウハウスの教育システム構造図
引用 (https://hataraku.vivivit.com/design-knowledge/designhistory_modern201712)

バウハウスで入学者はまず、予備教育と呼ばれる基礎造形課程を半年間かけて受講します。ヨハネス・イッテンが主導したこの予備教育では、美術に関する先入観や既成概念を捨て、色彩や形態の特性・法則についての研究や、様々な素材を用いての実習など、自由な創造力と造形の基本的な知識・技能を身につける授業を行いました。

▲ カンディンスキーによる9色からなる円状の色彩研究 <1922年-1933年>
引用 (http://www.mmm-ginza.org/special/201701/special01-02.html)

また、カリキュラムは、形態教育(基本)とクラフト教育(実技)の2つのコースで構成されおり、基本と実技を分けて学ぶことで、理論と実技の両面から造形について追及されました。このように、具体的な物と分離して、抽象的な色彩や形態・素材について理論的に分析した、バウハウスの革新的な教育・研究によって、「デザイン」という概念が明確に意識されるようになりました。そうしてバウハウスから、機械生産による新しい時代にふさわしい作品やデザインが、続々生み出されていき、バウハウスは世界から注目を集めることとなります。


3. バウハウスの歴史

● バウハウス設立まで <- 1919年>

産業革命以降、機械生産による粗悪な工業製品が数多く生産されるようになりました。その中、19世紀末にイギリスで、ウィリアム・モリスを主導者とする「アーツ・アンド・クラフツ運動」が起こります。これは、機械化による大量生産に異を唱え、中世の手仕事に回帰しようとする運動です。この影響を受け、ドイツで20世紀はじめに結成された「ドイツ工作連盟」は、"芸術と産業の統一"を掲げ、機械化を肯定し、質の高い製品の生産を目指します。その後、第一次大戦後のドイツでワイマール共和国が成立。「ドイツ工作連盟」のひとりであったヴァルター・グロピウスは、1919年 美術学校と工芸学校を合併し、国立の造形大学「バウハウス」を設立します。バウハウスの理念は、ドイツ工作連盟の理念を強く受け継ぐものです。

▲ ウィリアム・モリス 「いちご泥棒」<1883年>
引用 (https://www.kobe-np.co.jp/news/odekake-plus/event/detail.shtml?news/odekake-plus/event/201804/20180418134111573608)


● ワイマール時代 <1919年-1925年>

バウハウス設立にともないグロピウスは、画家のライオネル・ファイニンガーや、すでにウィーンで美術教育に携わっていたヨハネス・イッテンなど、豪華な面々を教員として招集します。初期の教育内容には表現主義的要素が強くありましたが、次第に合理性・機能性を重視した内容へ転換。その中で、グロピウスは1923年に「芸術と技術—新しい統一」というテーマを掲げ、バウハウスの教育方針がより明確化していきます。一方で、ワイマール共和国の不安定な政情や、バウハウスに不満を持つ右翼政党などからの攻撃により、共和国内での反バウハウス傾向が強まっていきました。そのため、1925年にワイマールのバウハウスは解散を余儀なくされます。

▲ バウハウス ワイマール校
引用 (http://www.germany.travel/jp/towns-cities-culture/unesco-world-heritage/gallery-bauhaus-and-its-sites-in-weimar.html)


● デッサウ時代 <1925年-1932年>

ワイマールを追われたバウハウスでしたが、ワイマールの北東に位置するデッサウ市が受け入れを決定。1925年にデッサウで市立の学校として再出発しました。翌年にはグロピウスの設計による新校舎が完成。教育方針もより明確化され、各工房での実験や研究開発も盛んになり、バウハウスは全盛期を迎えます。1925年以降、バウハウスにおける芸術・デザインの革新的な理論を、各号それぞれの教員がまとめた『バウハウス叢書(そうしょ)』全14巻を刊行しました。

▲ 『バウハウス叢書』
引用 (https://www.archdaily.com/785008/beautifully-designed-downloadable-bauhaus-architecture-books)

1928年にはグロピウスに代わって、ハンネス・マイヤーが学長に就任。機能性・経済性を徹底したマイヤーの方針により、バウハウスは国際的にも評価が高まりました。しかし、徹底した方針から政治色を強めたマイヤーは1930年に解任されることになり、後任にはミース・ファン・デル・ローエが就任します。ミース就任後はナチスが大きく権力を強めた時代であり、ナチスから敵視されていたバウハウスは1932年、デッサウでの存続が出来なくなってしまいます。

▲ デッサウ・バウハウスの教授たち <1926年>
引用 (https://www.bauhaus100.de/de/damals/koepfe/)


● 閉鎖からその後 <1932年->

その後、ミースは私立研究所としてバウハウスの再建を試みベルリンに移転しますが、ここでもナチスによって圧迫され、1933年、最終的に自主解散という形で閉校します。バウハウスの閉鎖後、数名の教師たちはドイツを離れ、後にアメリカへ渡ります。グロピウスはハーバード大学で建築家の教授に就任、教師のひとり モホリ=ナジがシカゴで「ニュー・バウハウス」を設立するなど、バウハウスの理念を国外へ広める活動を行いました。


4. バウハウスを支えた人物たち

● ヴァルター・グロピウス / Walter Gropius <1883年-1969年>

モダニズムを代表するドイツ人建築家。バウハウスの創設者であり、開校から1928年まで初代校長を務めました。「BAUHAUS」の文字が印象的なデッサウ校舎は、グロピウスの設計によるものです。建築家としてモダニズム建築の普及に影響を与えるとともに、教育者として大衆への芸術教育の重要性を主張しました。

▲ 「ファグス靴型工場」<1912年> ※世界遺産
引用 (https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%B0%E3%82%B9%E5%B7%A5%E5%A0%B4)

● ワシリー・カンディンスキー / Wassily Kandinsky <1866年-1944年>

ロシア出身の画家で、ドイツ、フランスでも活躍しました。ピエト・モンドリアンらと共に、抽象絵画の創始者として知られています。円や直線、四角形などを構成した幾何学的な絵が特徴です。1922年から閉校までバウハウスで勤務し、パウル・クレーとともに色彩や形態の研究発展に貢献しました。

▲ 「コンポジションⅧ」<1923年>
引用 (https://www.musey.net/5272)

▲ 「黄・赤・青」<1925年>
引用 (https://www.musey.net/5276)

● ヨハネス・イッテン / Johannes Itten <1888年-1967年>

スイス出身の芸術家。初期バウハウスにおいて予備教育を担当し、教育者として中心的な人物でした。グロピウスとの教育理念の対立から1923年にバウハウスを去りますが、その後も自ら学校を設立するなど教育に力を入れました。特に色彩について優れた成果を残し、著書の『色彩の芸術』<1961年>では色彩調和論を展開しています。

▲ イッテンの色相環 著書『色彩の芸術』より
引用 (https://nostos.jp/archives/102613)

▲ 「幸福の島国」<1965年>
引用 (http://liveatloft.cocolog-nifty.com/blog/utsunomiya.html)

● パウル・クレー / Paul Klee <1879年-1940年>

スイス出身の画家。表現主義やキュビスム、シュルレアリスムなど当時のさまざまな前衛芸術運動から影響を受けながらも、どこにも属さない独特な作風です。1921年から1931年までバウハウスで色彩や造形の講義を行い、絵画理論の研究に力を入れました。代表作「忘れっぽい天使」<1939年>のように、子供のような無垢な表現が特徴です。

▲ 「セネキオ (野菊)」<1932年>
引用 (https://redrb.heteml.jp/naganoart/nagano_art_260.html)

● モホリ=ナジ / Moholy-Nagy <1895年-1946年>

ユダヤ系ハンガリー人の芸術家。バウハウスでは1923年から1928年まで教鞭をとり、ヨハネス・イッテンが去った後の予備教育を中心に担当しました。絵画、写真、タイポグラフィ、グラフィックデザイン、舞台美術、映画などその活躍は多岐に渡ります。「光と運動による造形」を追究し、視覚芸術の分野で大きな功績を残しました。

▲ 「レール上の殺人」<1925年>
引用 (http://curio-jpn.com/?p=55403)

● マルセル・ブロイヤー / Marcel Breuer <1902年-1981年>

ハンガリー出身の建築家、家具デザイナー。バウハウス家具工房の第一期生で、グロピウスにその才能を見出され、1925年からは教官となります。モダニズムの先駆者として、代表作「ワシリー・チェア」をはじめ、革新的なデザインの家具や建築を生み出しつづけました。20世紀を代表するインテリアデザイナーのひとりです。

▲ 「クラブチェア B3」<1927年-1928年>
引用 (http://atelier-favori.com/news/marcel-breuer-exhibition/)

▲ 「ネストテーブル B9-9c」<1925年>
引用 (http://atelier-favori.com/news/marcel-breuer-exhibition/)

5. 今も大きな影響を与えるバウハウスのデザイン

機能美を追求したシンプルなバウハウスのデザインは、100年経っても色あせることなく、今でも私たちに新鮮さを感じさせます。バウハウスで講師をしていたパウル・レナーによるフォント「Futura」は、現在も様々な場面で使用されているバウハウスのデザインの代表例です。また2018年には、Adobeがスケッチなどから再現した、バウハウスの巨匠による5つのフォントを「Adobe TypeKit」で公開。その復刻フォントを使ったデザインコンテストを開催するなど、盛り上がりをみせています。タイポグラフィのほかにも、建築、家具、グラフィックなど様々な分野で、バウハウスのデザインは現代も多くの人々に愛されています。


6. 最後に

2019年のバウハウス100周年を記念して、世界中でバウハウスにまつわる展覧会やイベントが行われています。バウハウスのデザインや教育は、現代を生きる私たちにとっても、とても新鮮で学ぶものが多くあります。ぜひこの機会に、展覧会やイベントに足を運んだり、関連書籍を読んだりして、バウハウスのデザインに触れてみてください。


(2018.10.15)

著者

山田彩子

筑波大学 芸術専門学群を2019年3月に卒業。イラストを描いたり、雑誌を作ったりします。玉子焼きがあれば幸せです。

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