私たちの生活には「デザイン」が欠かせません。ペットボトル、ノートパソコン、本……今や身の回りのもの全てが「デザインされたもの」と言っても過言ではないでしょう。しかし、みなさんは【 デザインの歴史 】について知っていますか? デザインの歴史を学ぶ場所は限られているため、一般的に知られることはあまりないように思います。そこで、今回はどのような歩みがあって現在のデザインに近づいたのかを「近代デザイン篇」「現代デザイン篇」の2回に分けてご紹介したいと思います!編集・執筆 /OSARAGI, AYUPY GOTO
目次
- 1.デザインの歴史は浅い!
- 2.近代デザインの歩み
- ・産業革命がきっかけでデザインが生まれた
- ・アール・ヌーヴォーの大流行
- ・バウハウスが芸術と技術を統一
- ・不安定な社会が生んだロシア構成主義
- ・アメリカのインダストリアル・デザイン
- 3.最後に
1.デザインの歴史は浅い!
今でこそ浸透している「デザイン」ですが、実は、デザインはわずか160年ほどの歴史しかありません。この160年の間で驚くべき進化を果たし、今のような姿になったのです。
筆者(Mayu Osaragi)は大学に入学して初めてデザインの歴史について学ぶこととなりました。義務教育の間ではデザインという分野について学ぶ機会がありません。しかし、クリエイターはもちろん、デザインを専門としない人にもデザインについて振り返り、「デザイン」という意味を理解してもらう必要があると思っています。
というのも、これだけ生活に浸透しているはずのデザインなのに、デザインとは何か知っている人が少ないからです。また、デザインはアートと混同されがちという問題もあります。
一般的にいうデザインは、“ モノを装飾する ”意味として捉えている人が多いと思います。デザインをめぐる解釈は決して一様ではないですが、“ モノを装飾する ”というのは、正しい認識とは言えません。どうか、この後の近代デザインから現代デザインの歴史をざっくり振り返り、デザインの定義について考えていただきたいと思います!
2.近代デザインの歩み
産業革命がきっかけでデザインが生まれた
19世紀後半、イギリスで起こった産業革命に伴い、あらゆるモノが大量生産されるようになりました。今まで人が手作業で作っていたもモノが機械化されたのです。ですから、多くの職人たちは職を失いました。また、当時の大量生産された工業品は粗悪なものも多く、かつての手仕事の美しさは失われていました。そこで異を唱えたのが『ウィリアム・モリス(William Morris、 1834年3月24日 - 1896年10月3日)』です。
モリスは“ モダンデザイン*1の父 ”*1と呼ばれています。
*1……産業革命以降,機械と技術と資本が台頭してきたヨーロッパの近代におけるデザインのこと
引用:http://www.manas.co.jp/business-user/imported-brand/william-morris/
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“ モノに心からの愛着が込められていた「中世の作る喜び」を取り戻したい ”
モリスは中世の職人たちのものづくり精神に感銘を受け、友人・知人らの参加を得て、「モリス・マーシャル・フォークナー商会」を設立します。商会では家具やステンドグラス、壁面装飾などの室内装飾に取り組んでいました。
以降、モリスの思想やその活動のことはアーツ・アンド・クラフツ運動と呼ばれています。
― ここでのデザインの定義は「美しさ」「装飾」という意味で捉えられていますね!装飾美術とも呼ばれていました。万人に理解される“ 美 ”を追いかけ、モリスは商会を立ち上げたんですね。
アール・ヌーヴォーの大流行
アーツ・アンド・クラフツ運動は国を飛び越えて職人、建築家、工芸家など、様々な人々に影響を与えました。そして19世紀末から20世紀にかけて、欧米の主要都市でしなやかな曲線と曲面を持った装飾、つまりアール・ヌーヴォーが大流行しました。アール・ヌーヴォーとはフランス語で「新しいアート」という意味です。当時の人からすると、アール・ヌーヴォーは成長を感じられるような新鮮なスタイルだったため、このような名前で呼ばれるようになりました。
その流行はポスターに始まり、家具や室内装飾、建築にも及びました。
― ここでのデザインの定義はまだ「装飾」の意のデザインが色濃く残っています。この時代のデザインは流れるような曲線が自然を表していますね。
バウハウスが芸術と技術を統一
20世紀になり、工業製品が馴染みのあるものに変化していった時代の中で、デザインは生産者にとっても消費者にとっても重要なものになりました。
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“ 全ての造形活動の最終目標は建築である! ”
第一次世界大戦の敗北と11月革命により、社会民主主義政府の元、ドイツではワイマール共和国が建国されました。敗戦まもない生活の中で、新しいものを創造しようという熱狂が渦巻いていました。そこで1919年の春、創造的精神に溢れる若い人々たちがドイツ・ワイマールに集まり、全く新しい総合造形学校、バウハウスが誕生したのです。当時のバウハウスの活動は現代デザインの基礎を築いた、先進的な「総合芸術運動」と言われています。
創立者である『ヴァルター・アードルフ・ゲオルク・グローピウス(Walter Adolph Georg Gropius, 1883年5月18日 - 1969年7月5日)』の理念は「建築」は生活の受け皿であると考え、グラフィックデザイン、インテリアデザイン、プロダクトデザインなどの一切のデザインは建築がベースになって生み出されるというものです。
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“ デザインは芸術と近代機械産業との結合である ”
1923年になり、バウハウスでは「芸術と技術-新しい統一」というテーマが掲げられました。今まで実験的だった教育プログラムもより一層わかりやすく再構成され、バウハウスは軌道にのっていましたが、ワイマール共和国の経済状況が悪化し、閉鎖を免れなくなりました。そこからデッサウ市に招かれ拠点を移動することとなります。1932年にはナチスの弾圧を受け、再びベルリンへ移動しますが、33年には完全に閉鎖されてしまいました。
バウハウスは14年間という短い間ではありましたが、多くの優秀なデザイナーを輩出しました。その後学生たちはバウハウスの精神を受け継ぎ、世界各地で活躍しています。
― ここでのデザインの定義はかなり多義的になっていますが、バウハウスがいうデザインとは「芸術と技術の融合」であり「装飾芸術」のみの意味を表しているわけではなさそうです。今でも多くの美術学校でバウハウスの教育プログラムが引き継がれ、アップロードされています。
デザインが大衆のものに変化したアール・デコ
今まで培ってきた装飾性と合理性を満たしたデザイン様式が誕生します。
1925年のパリ万博(現代産業装飾芸術国際博覧会)がきっかけとなり、直線的で幾何学的なデザインが特徴であるアール・デコがフランス・パリで大流行しました。アール・デコはフランス語で「装飾芸術」を意味します。やがてその流行は世界へと広がっていったのです。
かつて人気を博したアール・ヌーヴォーは一部の特権階級のためのデザインでした。職人が一つ一つ手作業で制作する上、大量生産はできません。また、第一次世界大戦と第二次世界大戦の間であるこの時代では機能的でシンプルなものが求められたのです。次第にデザインは一部の人から大衆へと広がっていきました。
― ここでのデザインの定義は「機能的」という意味もプラスされたようです。ただ見た目が美しいだけでなく、消費者の使い勝手、生産者の生産性にも目を向け始めたデザインの時代だと言えます。
不安定な社会が生んだロシア構成主義
1917年に起こったロシア革命がきっかけでモスクワを中心に前衛的な芸術運動が起こりました。それがロシア構成主義です。ロシア・アヴァンギャルドとも呼ばれています。
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“ デザインの力で理想的な社会をつくりたい ”
第一次世界大戦によってロシアは経済が困窮し、国民の不安が勃発しました。当時のデザイナー、芸術家は政治思想を盛り込んだデザイン、すなわちプロパガンダ*2を作成していました。
*2……人々の思想や行動を誘導する宣伝のこと
ロシア構成主義は力強い配色と構図、写真のモンタージュに特徴があります。人々の目を引きつけるための視覚的シンボルも確立させていました。
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“ 鑑賞するものに行動を促す ”
『エル・リシツキー(ロシア語:Эль Лисицкий;El Lissitzky、1890年11月23日 -1941年12月30日)』は「鑑賞するものに行動を促す」というテーマを持ちながら制作をしていました。
― ここでのデザインの定義は「人々に考えを伝える」「人を動かす」というという意味合いも含まれているように思います。現在のデザインの定義に近くなってきた印象です。
アメリカのインダストリアル・デザイン
アメリカはインダストリアル発祥の地とも呼ばれています。
19世紀、アメリカでは豊富な材料はあるが、人手が足りないという状況でした。その中でパリで発祥したアール・デコが受け入れられ、ますます機械化、合理化が進んでいきます。
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“ 美は機能の約束である ”
アメリカに亡命したバウハウスの人々がアメリカのデザイン界にかなりの影響を与えました。バウハウス展の際に出版された本は今でもデザインにおいて重要とされていますが、『エドガー・カウフマン・Jr(Edgar Kaufmann Jr., 1910年4月9日 - 1989年7月31日)』による「近代デザインとは何か?(生田訳、美術出版社)」は今日のデザインを説明する時に欠かせない資料となっています。カウフマンは12の定理を述べています。
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●「近代デザインの12の定理」
1.近代デザインは近代的生活の実際的必要を充足するべきである
2.近代デザインは我々の時代精神を表現するべきである
3.近代デザインは純粋美術や純粋科学の現在の進歩から利益を受けるべきである。
……etc
― ここでのデザインの定義は「人々に考えを伝える」「人を動かす」というという意味合いも含まれているように思います。現在のデザインの定義に近くなってきた印象ですね!
近代デザイン史についてはここまでにしましょう!ざっくり振り返ってみましたが、「万人にわかる美」から「機能的である」「人々に考えを伝える」というものに変化していったことがお分かりいただけると思います。
今回はざっくりと振り返りましたが、「もっと細かいところまで知りたい!」という方はぜひ本屋さんで「補強新装カラー版 世界デザイン史(阿部公正、美術出版社・2012)」を購入することをオススメします!実際の美術大学の講義でも使われている参考書になります。
引用:https://www.amazon.co.jp/増補新装-カラー版-世界デザイン史-阿部公正/dp/4568400848▲ 補強新装カラー版 世界デザイン史(阿部公正、美術出版社・2012)
【現代デザイン篇へGO】
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4.最後に
今回は【デザインの歴史】について振り返り、デザインを学んでいる人もそうでない人にも「知ってほしい」という思いで執筆しました。デザインは人々の暮らしの変化の中で日々進化をしています。ですから、決して“ 装飾 ”という意味だけではなく、“ 人に考えを伝える ”という意味も込められていると思うのです。こうしてデザインの歴史について知ってもらうことにより、“ アートとデザイン ”の違いについても理解できるようになると思います。もし、クリエイティブ系の進路を考えている中学生、高校生の皆さんは“ アートとデザイン ”どちらを学ぶかの参考にしてみてくださいね。また、普段からものづくりに関わっている方もデザインについて一度歴史を復習してみるのはいかがでしょうか。
次回は近代デザイン史のその先である、現在までのデザインの歩みについて記事にしたいと思います!お楽しみに。
(2017.12.15)
著者
はたらくビビビット
ポートフォリオとデザインのリファレンスメディア